『冒険の書 AI時代のアンラーニング』を読んでみた

冒険の書 AI時代のアンラーニング 孫 泰蔵の表紙 教育
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日経ビジネスの記事で見かけた「孫 泰蔵」さんの本で、本のタイトルにあるように「AI時代のアンラーニング」の内容ですが、「なぜ学校に行かなきゃいけないのか?」「なぜ学校の勉強はつまらないのだろうか?」という素朴な疑問から、「教育とは?」「学びとは?」という問いを、世界中にある冒険の書(名著)の何百年も前からあった知識を絡めて考えていく本です。

ちなみに「孫 泰蔵」さんは、パズドラで有名なガンホー・オンライン・エンターテイメント株式会社の創業者で元代表取締役会長、お兄さんはソフトバンクグループの孫正義さんです!

『冒険の書 AI時代のアンラーニング』の目次

  • はじめに
  • 父からの手紙
  • 第1章 解き放とう 学校ってなんだ?
  • 第2章 秘密を解き明かそう なんで学校に行くんだっけ?
  • 第3章 考えを口に出そう なぜ大人は勉強しろっていうの?
  • 第4章 探究しよう 好きなことだけしてなぜいけないの?
  • 第5章 学びほぐそう じゃあ、これからどうすればいいの?
  • おわりに 新しい冒険へ
  • 旅の仲間たちへの謝辞
  • 世界に散らばる冒険の書たち
  • 本書の問い

『冒険の書 AI時代のアンラーニング』の気になったところ

p.42 パノプティコン(panopticon)

イギリスの法学者ジェレミー・ベンサムが発明した中央に関し等がある丸い形の刑務所です。

「あまねく(pan)」「見る(optic)」というギリシャ語から名前がついているそうです。

2022年に読んだ「正義の教室 善く生きるための哲学入門」の中に「パノプティコン」が出てきて始めて知ったのですが、リアルな写真を見たのは初めてでした。

「監視されているかもしれない」と思いこませることで、服従させるという仕組みなのですが、、よく出来てますよね。

p.88 そもそもルールとは、

【失敗をくり返さないよう、「転ばぬ先の杖」として作られた教え。】なのですが、そのルール自体が人々から大事な「失敗する権利」を奪い取っているという話。

禅の修行では、あえて教えずに「全員失敗させて、試行錯誤させる」という仕組みがあって、禅が1000年続いているそうです。

たしかに、自分で失敗を経験して、試行錯誤した知識は忘れることもないし、他にも活かせそう。

p.106 遊びと学びは真っ二つにわかれてしまった

休み時間に「遊ぶ」という形になったから、「学ぶ」ときは遊ばない。 たしかに!

「遊び」と「学び」と「働き」が区別されて全部つまらなくなってしまった

区別されたから、それぞれ別ですよね。。

「遊びながら学ぶ」とはいうものの「遊びながら働く」って聞いたこと無いですね。まだ「学び」のほうが「遊び」に近づいている感じはします。

「フロー(flow)」体験は、野球をやっていたので、バッターボックスに入ったときに応援団の音が消えたときや、マンガを読んでいるときに声をかけられても聞こえないときによく感じる(笑)

p.115 「子ども」という概念は「発明された」

「子ども」って普通だと思っていたのですが、色々なものが区別されて、分割されることで出来た概念と言われればたしかにそうですよね。

p.120 学習する習慣こそが教育・・・

「詰め込み学習は意味がない」というのは、よくわかりますよね。一夜漬けしたものは覚えていませんからね。

わからないことがあったときに、調べる習慣を教えてあげれれば、パソコンやインターネットが発展した現代ならほとんどのことは解決できるなと。

詰め込んで答えを教えるよりも、「ググり方」を教えたほうが良いと思ってるんですよね。

思っているよりも「ググり力(りょく)」が無い人っているんですよね。

次のページには、「タブラ・ラサ(tabula rasa:ラテン語で「磨いた板」の意味)」が出てくるのですが、哲学の本を読んだときに出てきた気がする。

人間は、本来生まれてからの経験だけで作られるタブラ・ラサなのか、本来遺伝子に組み込まれた経験もあるからタブラ・ラサではないのか。という話だった気がする。

p.151 「身体的不具合」は本来、「身体的な個性のひとつ」

自分は健常者だと思っているので、「障がい者」にたいして考えることはあるものの、「メガネ」のことを考えると、「障がい者」にたいしての考え方が変わるっていうのでどこかで見た気がします。

「メガネ」がめちゃくちゃ普及しているから、視力に関して問題があったとしてもごく普通の扱いになっているけど、盲目を助けるための「白杖」、歩行を助けるための「車椅子」、聴力を助けるための「補聴器」などと比べるとなにか違うように感じてしまいます。

視力を助けるための「メガネ」と同様なはずなんですが、接する機会が多いからなのか、メガネをしていても「なにかお手伝いしましょうか?」という人っていないですよね。

p.208 Nine dots puzzle

一筆書きで、同じ線をなぞることなく、4本以下の直線で、9つの点を全部つなげるっていうパズルです。

真ん中の解答は見たことがあったのですが、両サイドの解答は初めて見た。

p.246 答えようとするな。むしろ問え

「なんでだろう?」と素朴に疑問に思い、面白がってやってみたことが、思いもかけず新しい発明や発見を生むことがある。

ほとんどのものは、この考えで出来ている感じがしますよね。

ずっと積読になっている「シュンペーター:経済発展の理論(初版)」に出てくる【新結合】の話を読まねば。

p.273 親の言うことは聞くな‼マジで‼

読めばわかるけど、確かに〜!!という話でした。

親になってからわかる「親の気持ち」ですが、前回読んだ本のマイルス・デイヴィスの親父のように「お前の決心を信じるよ。金は独り立ちするまで送ってやる、心配するな!」って言えるようになりたいなぁ〜(笑)

p.281 子どものうちはやりたいことだらけなのに、社会人になるとやりたいことを見失う

「システムとして機能」しちゃっているのは、ホントそうですよね。

話題のN高とか、高専などに行って、やりたいことを早めにやり続けている人たちって、どう感じているんですかね?

p.296 世界は自ら変えられる

もし明日死ぬとしたら、一言だけ我が子に遺言を残すとしたら、どんな言葉を遺す?

の著者の考えなのですが、すごくいいなぁ〜と。

なぜこの言葉を遺したのか考えさせれば、幅広く色々考えさせることができるなって。

辞世の句みたいな感じですかね。

『冒険の書 AI時代のアンラーニング』読んだ感想

「なぜ学校に行って勉強するのか?」と自分に問い直したら、10年前に書いた記事を思い出しました。まだ我が子がいない時の記事ですね。

「勉強っていうのは、好きなことでも嫌いなことでも、どれだけ頑張れるか見るためのものだよ!」

って、言ってた!!!・・・やだっ!!!見当違い!!!

っていうか、作られた現代の「教育」にどっぷりとハマって、その枠の中から言っている表現でした。

ちょっと前は子どもが出来て、第1子くんが小学校に入る前に考えていた「なぜ学校に行って勉強するのか?」は、人に騙されず、色んな角度から物事を見れるように!という感じに変わっていました。

そして各教科ごとの例を考えていました。

  • 国語・・・コップに入って、陽の光でキラキラしている一杯の水
  • 算数・・・200mlのコップに、150ml入っている水
  • 理科・・・ガラスで作られたコップに、入っている水(H₂0)
  • 社会・・・中国で作られて日本で売られているガラス製のコップに、浄水場で浄化されて水道の蛇口から入れた水
  • 英語・・・A glass of water

まだまだ「現代教育」の枠の中にいましたね。

途中で出てきた「Nine dots puzzle」ではないのですが、今後子どもから言われると思う「枠外」の考え方にも、寛容になれるようにしておかないとなぁ〜と感じました。

この記事の本『冒険の書 AI時代のアンラーニング』

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